求職者たちの「やる気」の問題について、歴史視点で考察してみた!?

先日、とある会社社長と話し。
「近いうちに今まで長く勤めたくれた事務員が家庭の事情で退社することになりました。
その代わりの職員を採用をしようとしたんですが、なかなかいい子がいなくて・・・」と。

聞けば退職する事務員の方は随分能力が高いようで、1人で3人分の仕事をこなしているようです。

米「それでは代わりの入る人は、なかなか見つからないのでは?」

勿論、会社側でもそんな高望みはしていないようで、今まで一人でやっていたものをパートも入れて3、4人でこなせないか?と求人を出していたようです。

 

問題は、求職に来る人たちのやる気が一番の問題のようです。

最初はパートで、その後正社員へ転換しますよって提案をしても、パートのままでいいという人ばかりだというのです(ーー;)

パートという言葉が持つ意味を勝手解釈して、難易度も低い、責任が軽い職だと受け止めて面接に来ていると嘆いてました。

それは私も実感するところです。

 

『戦闘動作・・・斥候を含めて・・・は日本の歩騎兵のほうがはるかに優れていた。とくに下士官を長とする兵数人という単位の活動になるとロシア側は大いに劣っていた。

ロシア側はつねに将校という頭脳を必要としたが、日本側には下士官や兵というレベルにおいてすでに状況判断能力というものをもっていた。

この理由は日本側が国民の識字能力において圧倒的に高いということもあるかもしれないが、あるいは社会の性格によるかもしれなかった。

日本の庶民階級は江戸時代からすでに相互刺激がつよく、ある程度利発でなければやってゆけないという本然の状態が存在していていたが、

一方、ロシアの庶民はなおも上代以来の農奴制の気分をつよく残していて、いわば人間は一個の労働力でしかないという環境がうんだ一種の痴呆症・・・素質としてではなく・・・が存在した。

このため戦場に出しても、みずから物事を判断することにはなれず、そのことがロシア陸軍の欠陥にさえなっていた。』

(司馬遼太郎著 「坂の上の雲」 会戦の章)

 

この文章を読んで、最初に記載した記憶が蘇りました。

日本人の将校の命令を受けずに行動ができる状況判断能力は、或る意味「社会の性格」から来るものかもしれないと司馬さんは言っていますが、時代は変わり、今や一人ひとりの意識の違いってことになるのかもしれませんね。

うちの事務所もいろんな人たちを採用し見て来ましたが、
最終的には仕事に対する姿勢・心構えが、一つのポイントになっているのでは?
と思えてなりません。

厳しい時代だからこそ自分自身がどう自身を成長させていけるか?

そこに責任を持てる人が最後は自分が思っている通りの人生を歩めるのではと思います。

 

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