先進国では、これまでのような生産性革命は終わった。肉体労働の分野では、その生産性が決定的な要因になるほど十分な人数が雇用されていない。先進国では労働人口の五分の一以下である。わずか三十年前には、それが過半数を占めていた。
他方、今日重要性を増してきた知識労働者の生産性はまったく向上していない。分野によっては低下してさえいる。(中略)
だがこのように多様な知識労働者も、彼らの生産性を向上させる上で何が役に立たないかという点では同じである。その知識、技術、地位、給与がいかに異なろうとも、生産性を向上させるうえで、何が役に立つかと言う点でも同じである。
(中略)
知識労働者においては、「資本」は労働の代わりにはならないということである。「技術」も、それだけでは知識労働者の生産性を高めることはできない。
経済学の用語に従えば、「肉体労働者」については、「資本」と「技術」は生産要素である。
しかし、
「知識労働者」については、もはやそれは「生産手段」であるにすぎない。
「資本」と「技術」が仕事の生産性を高めるか損ねるかについては、知識労働者がそれらを使って何をいかにするかにかかっている。「仕事の目的」や「使う人の技量」にかかっている。
(中略)
生産性の向上は、より賢く働くことでしか達成できない。 (中略)肉体労働者に関しては、より賢く働くことが生産性を向上させる上で重要な鍵である。だが知識労働に関しては、それが唯一の鍵である。
(中略)
知識労働者の生産性の向上を図る場合にまず問うべきは、「何が目的か。何を実現しようとしているのか。なぜそれを行うか」である。手っ取り早く、しかも、おそらくもっとも効果的に知識労働者の生産性を向上させる方法は、仕事を定義し直すことである。特に、行う必要のない仕事をやめることである。(プロフェッショナルの条件」ドラッカー著)