私は、歴史が好きです。
日本の歴史なら、人気ある戦国時代や幕末は当然として、日清・日露戦争あたりも好きです。
お隣り中国史では、これまた当然の如く「三国志」。
昔は、劉備玄徳が好きでしたが、最近は曹操孟徳が好きです。
少し人生経験を積んで、興味感心、価値観が少し変わったのかもしれませんね。
目次
曹操孟徳の人材抜擢とは
1,将軍を教育する
自前の軍隊がなかったとき、黄巾賊を降伏させて正規軍に編入したことがある。
黄巾賊とは、字を見て頂くと解る通り、あくまでも「賊」の一団。
彼らを仲間にした結果、領土拡張にはメリットがあった。
ですがその反面、デメリットとして、略奪や住民を虐殺するなど、曹操軍の評判を落とすような場面があった。
その為、本拠地を無くす危機にさらされた。
そこから学んだことは、軍隊の組織教育に全力を注いで、有能な将軍を育てる必要性を強く感じるようになる。
「孫子の兵法」に曹操自ら注釈を入れたものを沢山作らせて、人材育成のテキストとした。
2、魏、呉、蜀の中で人材が豊富なイメージのある曹操の魏
(1)蜀は、劉備の流浪時代からのグループ、荊州時代のグループ、益州制服後のグループと派閥がはっきりしていた。
中途半端に有力豪族を取込み、中途半端な管理しかできなかった。
グループがはっきりしているところに、新たに参加するのは気おくれしますよね。
(2)呉も有力豪族を取込みますが、その有力豪族と君主との軋轢があったようです。
人間関係がぎすぎすしているところに、わざわざ足を踏み入れる気にはなりづらいですよね。
(3)魏は、どの国より地方有力豪族を上手に取込み、管理することができたようです。
その為、他の国より求心力が強かったと言えるでしょう。
他人への影響力を考えると、有力豪族を統御できた点で人の渦を作ることができた。それが人材が豊富になった理由の1つと言って良いのではないでしょうか。
人口が多いところに国を持てた点は確かに有利に働いたかもしれませんが、それだけではないと思います。
3,曹操の組織の人材群に学ぶ
華北平定後、曹操は「ともに新時代へ」と布告を出し、人材募集をします。
『このように人材の抜擢について曹操は、封建性がしみついた中国史上において、他に類例を見ないほどリベラルで大胆であった。
彼が任命した将軍たちは下級兵士ばかりでなく、敵将や敵兵からも選抜された。
これは相当の人材鑑識眼がないと、なかなかできないことである。
信頼できる同族がなく、側近で小さく固まりきった劉備、逆に同族を引き上げすぎて、それでダメになった孫権と比べると、現代的な視点で評価に値するのは曹操だけである。(「曹操注解 孫子の兵法」中島悟史著)』
これを読むと、自らを振返って反省しました。
信頼できる人同士でビジネスをするのは当然ですが、小さく固まっていなかったか?
かかわる人間が少なければ少ない程、自分の活動は小さくならざるを得ない。
逆に、かかわる人間が多ければ多い程、自分の選択肢が増える。
だとすると、この人の輪を介して、今より組織を成長発展させられるのではないか?
もしかしたら自己満足で終わっていなかっただろうか?と振り返ってみた。
ま と め
組織は、中心者の性格や価値観、イメージしている組織像に大きく影響を受ける。
だからこそ「誰をバスの乗せるか?」という問いは必要。
でもそこに大きなリスクもはらんでいることも忘れないよう心掛けたいものです。
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